遠周 章著「葛の花道ー葛紀行」の刊行に寄せて
葛の話シリーズ 第三十八話
遠周 章著「葛の花道ー葛紀行」の刊行に寄せて
平成二十年六月末のこと、久しぶりに姫路にお住まいの遠周章さんからお電話をいただいた。葛の本のゲラがほぼ刷り上ったので校正してほしいという依頼だった。私は、氏が出版を計画されている著書の原稿が仕上がったら推薦文を書く約束をしていたことを即座に思い出した。
数日後にお会いして、本書の構想と資料集めにまつわる苦労話を聞きながら談笑に耽った。実を言うと、この時私は推薦文のとっかかりを掴むために懸命だったのである。
私は過去に数冊の著書を持っているが、それらの売れ行きを気に掛けたことはなかった。分担執筆者がページ数に応じて出版経費を出版社に払い込めば、業績が一篇増えたと言うことで、万事めでたしめでたしで終る。しかし、本書のように自費出版の場合は、いつまでも目の前に売れ残りの本が積み上げられているようでは気が滅入る。私の推薦文の一語一句が読者の心に届き、刊行された全書籍が一刻も早く完売されることを祈りながら次のような「推薦のことば」を書いてみた。
推薦のことば
遠周さんから、「葛の花道」を上梓(じょうし)する段階まで漕ぎ着けた旨連絡を受けた時は、思わず喝采(かっさい)の言葉を叫んでしまった。執筆を決意されてから五年の歳月がたっていた。途中、体調を崩されたこともあったが、それを克服して、大阪の文学学校に通い創作術に磨きをかけられた。遠周さんは姫路文学会同人で、童話や児童文学の分野で数々の受賞歴をもつ手練(てだれ)である。時機が到来したのだ。葛との出会いは氏の創作意欲に火をつけたのだ。氏は在職中から蔓(つる)植物に格別の関心をお持ちであったそうだ。そんな時に私は遠周さんとお出会いし、本書の構想に諸手を挙げて賛同したのである。
その後、何度かお会いして進捗状況をお聞かせいただいた。各地への取材を重ねられていることが話の隅々からうかがわれた。苦労がつきものの取材旅行も、「葛の花道」のためであれば楽しいことが多かったに違いない。それは行間にまで滲み出ている。本書を一読すれば葛の用途はたくさんあり、現在でも葛は私たちの生活の中に生き残っていることがわかるであろう。
本書の主人公安田誠三は母を尋ねて兵庫県但馬湯村、奈良県国栖、さてまた長野県扇沢葛温泉まで足を伸ばしている。携帯品は何をおいても谷崎潤一郎の「吉野葛」であったろう。この短編の底流にあるものは、「うらみ葛の葉」を引喩(いんゆ)とする母と子の情念である。「うらみ」は決して「怨念(おんねん)」や「遺恨(いこん)」ではない。これは「思慕(しぼ)」、「恋慕(れんぼ)」、「憧憬(しょうけい)」、「憐憫(れんびん)」などの感情を表し、切れそうで繋がっている縁とか、手が届きそうで届かない事物とかのような、もどかしい思いを伴った言葉のように受け取れる。
一方、遠周さんの「葛の花道」の主題は「愛し葛」である。愛しい人を追い掛けてゆく人間関係はまるで延う葛のようである。野辺に延う葛の蔓はいたるところで交差し、時には互いに絡みつき、巻き上がったりする。これはまるで男女の出会いのようである。
文豪谷崎は「吉野葛」で葉裏の白い葛の葉で「うらみ」の情感を読者に届けた。遠周さんは「葛の花道」で延う葛の蔓によって「愛し」の感情を表現されようとしている。
誰が葛をモチーフにして小説を書こうが、必ず文豪谷崎潤一郎の「吉野葛」と比較される。これは宿命のようなものだ。遠周さんはそのことをご承知のうえで、あえて挑戦されている。
「葛の花道ー葛紀行」(1,600円)を購読希望の方は下記までご連絡下さい。
〒671‐2221
兵庫県姫路市青山北3‐28‐15
遠周 章
(℡ 079‐266‐2559)
神戸大学名誉教授 津川兵衛