大高源吾の葛の句
葛の話シリーズ第九話
葛と健康(九)
大高源吾の葛の句
NHKテレビ日曜日午後八時からの『元禄繚乱』は、出だしから大いにお茶の間の人気を博している。後半に入り、主家の再興を断念せざるを得ず、主君の敵を討つしか途はないと大石内蔵助が決断する場面を迎えると、これから物語りは四十七士討入りの場に向って一気に緊迫の度合いを増して行くことを視聴者はよく知っている。
赤穂浪士と言えば、何といっても内蔵助が中心だ。次に逸話の多いのは堀部安兵衛あたりか。大高源吾も浄瑠璃・歌舞伎・講談などでよく取り上げられている一人で、そこでは勇猛の士と文人との両面が描かれている。討ち入りでは掛矢(大槌)で表門を打ち破る役目を引き受けるほどの力自慢である。一方、茶事を好み、俳諧では榎本其角とも交友があった。雅号は子葉である。『元禄繚乱』では源吾役を辰己琢郎が渋い演技でこなしている。
江戸から赤穂への浅野内匠頭の参勤交代の道中のつれづれに、源吾が記した丁丑紀行の中に次の葛の句が出ている。三重県桑名あたりで詠んだ句か。
葛の葉の裏を先ず見る神事かな
このとき、源吾は万葉集の一首(巻第十二、三〇六八)を思い出していたかも知れない。
水莖の岡の葛葉を吹きかえし 面知る子等が見えぬ頃かも
葛の葉が風にひるがえり、ふだん見せない白っぽい葉裏を見せている。ところが風が強いので子供たちは早くから家に引き籠ってしまって姿を見せない。葛の大きな葉は、なかなか葉裏を見せないのが特徴である。この歌の作者は葛の葉と子供たちの対照的な動きを明敏に観察し、葛の葉のこの特徴を歌の中で巧みに使いこなしている。
谷崎潤一郎の短編小説『吉野葛』の中に出てくるのだが、人形浄瑠璃の葛の葉の子別れの場では、母狐が障子へ次の歌を記すことになっている。
恋ひしくば訪ね来てみよ和泉なる 信田の森のうらみ葛の葉
この「うらみ」とは、けっして「怨念」や「遺恨」ではない。これは「思慕」、「恋慕」、「憧憬」、「憐憫」、「煩悶」などの感情を表わし、切れていそうで繋がっている縁とか、あるいは手が届きそうで届かないとか、事が成りそうで成らないとか言う、もどかしい思いを伴った言葉のように受け取れる。前の二つの歌の注解に基づくなら、葛の葉は白っぽい葉裏を見せそうでなかなか見せないところがあるので、和歌や俳句に詠み込む時、先に挙げたような感情が募ることを言い表わすために使うのである。
源吾は、俳諧を嗜む者の常として、前の二つの歌に出てくる葛の葉の意味をよく知っていたのだから、葛の葉を手折ったとき、まず葉をかざして人目を忍ぶ葉裏を見た。ちょうどそのとき近くの神社で祭礼があるのか、お囃子が聞こえてくる。これがこの句の解釈だろう。誠にのどかな情景だ。当時、源吾は、後年内匠頭の松之廊下での刃傷が起こるとなどとは夢想だにしなかったに違いない。
元禄十五(一七〇二)年十二月十四日、赤穂浪士は吉良邸に討ち入り、本懐を遂げた。大高源吾は大石主税らとともに江戸の松山藩邸にお預けとなり、翌十六年二月四日同邸にて自刃し果てた。辞世の句を
梅で呑茶屋もあるべし死出の山
と詠んだ。明鐘止水の心境であったと言う。
しかし、大原源吾の身辺に「うらみ」と表現されるものの気配を感ずるのは筆者だけだろうか。享年三十二である。
神戸大学名誉教授 津川兵衛